なにもたさない、なにもひかない

しびれた一言

https://www.youtube.com/watch?v=HexZ2KgFTqQ

20代の頃、清原先生の主宰する株式会社正方形で、企画書を書いたり、コピーライターの真似事をしてた頃。

https://www.dnpfcp.jp/gallery/ggg/jp/260

PageMakerというDTPソフトのパンフレットの文章を書いていたとき、博報堂出身の手嶋さんから言われた。

「よく勉強してるし、書いてあることは正しい。 でも説明っぽくて広告の文書ではないよ」

「人の心に届く言葉を考えてみて」と言われ、「例えば山崎の最初のCMみたいな感じ」というヒントをもらった。

清原先生が他界し、バブル崩壊後、音を立てて日本経済が崩壊し、正方形は一気に傾いた。仲間達は皆独立した後、娘が宿ったことを言い訳にmoak1というデザイン事務所の取締役になり、安定を求めた自分。電通に指名されメリルリンチのコンペに勝ち、凸版印刷のゴルフ接待のために練習場に通い、日本ユニシスの広報部の仕事を終えた後、自分のクリエイティブに疑問を持つようになりました。

結局、ここ一番の という勝負の仕事 マイクロソフト、アップル、三菱自動車、日本精工などの仕事は、正方形の先輩に頼り、いつまでたっても 正方形時代に学んだタイポグラフィー以上のものを生み出せない自分が情けなく・・

1999年 娘が生まれた年に発刊された「日本タイポグラフィー年鑑 visual identification部門」入賞した。

数年後、会社の研修の名目で、ドイツとスイスに行かさせてもらった。先輩の今野さんとふたり、ドイツのバウハウス近くの書店に入って、デザイン関連書籍を買いあさっていると、あの日本タイポグラフィー年鑑1999が棚にあった。とても嬉しくて一番目立つ場所に移して、ちょっと前に出して帰ってきた。

不明熱での入退院を繰り返した後、制作チームを持つことを止め、取締役、新規事業の株式公開企業支援コンサルティング会社の初代社長を兼任した。雇われ社長はまったく楽しいものではなく、あえいでいる時に実母が脳内出血で倒れて、長い介護生活と退職後に東北の大地震で再就職はできなかった。

いま 当時の仲間は皆独立し、自分の会社を持っている。

尊敬する正方形の先輩 白井さんは大学教授になり、後進の育成をしながら、第一線で活躍している

https://vcd.musabi.ac.jp/sotsuten/2016/profile.html?id=10

新宿区でデザイン事務所を経営する土岐さんが、今の仕事で独立する勇気をくれた。

結局 あのときいただいたアドバイス 「なにもたさない なにもひかない」ピュアな自分が奏でるメロディーで周囲とハーモニーを響かせられなければ前には進めないと気がついたのは ついこのあいだ。 不明熱で苦しみ、十二指腸近くの内臓動脈が裂けて、吐血と下血をした原因がわからなかった不安な日々を過ぎ、母の死の悲しみを乗り越え、長い浪人生活。回り道をしたようだが、全ては無駄ではなかったと思えたのは 娘の結婚まで生きていられて良かったと思った日でした。